この度も鍵庄の川柳コンテストにたくさんのご応募を頂き、誠にありがとうございます。
前回よりも更に50句多い、1097句が集まりました。
毎年ご参加頂いている方はもちろん、この度はじめて参加頂いた方も詠みごたえのある力作を投稿して頂きました。心より感謝申し上げます。
さて、今回は「おくりもの」というテーマで広く募集をしました。
鍵庄も贈り物を取り扱っておりますので、お中元やお歳暮などのギフトが頭に浮かびますが、集まりました川柳を詠み、様々な「おくりもの」で世の中は溢れているのだなと実感しました。
両親が子供へ送る愛情をカタチにしている川柳もあれば、妻から夫への感謝やお孫さんからおじいちゃんへのプレゼントなど、様々なシーンが連想出来る作品と触れ合う事が出来ました。最終選考で絞られた50作品は全てレベルが高く、審査は難航しました。その中でも審査員の心に残った作品を受賞作に選ばせていただきました。
また、昨年に引き続き特別審査員を川柳家である西端康孝氏にお願い致しました。お忙しい中、すべての作品に目を通し、丁寧に審査してくださって本当にありがとうございます。この場を借りて御礼申し上げます。
最後に、これからも鍵庄はコンテストやキャンペーンなど開催していきます。皆様のご参加、心よりお待ち申しております。
地方紙に包まれた野菜、里の香りでいっぱいです。
母から届く贈り物は、実家の庭で採れた野菜たち。不恰好でもとても美味しい。母が丹精込めて育てたと思うとなお美味しい!! 荷が届くたびに里の香りと母からの想いに胸がいっぱいになります。
俳句と川柳は同じ17文字ですが、一般に、俳句が「モノ」を詠むのに対して、川柳は「ヒト」を詠むと言われています。荷解きをして、まず視覚、そして嗅覚へと感動が遷移し、その後には故郷のお母さまの手のひらへと想像が展開されていきました。祈る気持ち、感謝する気持ち。双方の「ひと」が見えて繋がりあう17文字のドラマに、末永い交流を願ってやみません。グランプリ受賞、おめでとうございます!
家族の平和な日常こそおくりもの、なのかな。
ありがとうございます。想定外の受賞に驚いております。鍵庄様に感謝、家族に感謝でございます。
学生のころ、卒業式を終えて覗いた教室には誰もいなくて、つい昨日のことが、もう永遠の記憶になってしまったのだと寂しい気持ちになったことを覚えています。シールだらけの冷蔵庫。色褪せたり、剥がれかかっていたり、いたずらな気持ちで貼ったようなそれに、叱った声までが懐かしく再生されるような気がしました。その光景がかつて「在った」のだということ。家族の温度の余韻を、とても美しく表現されています。
毎年、サンタへの手紙からプレゼントの調達まで、色々と仕込みをして、クリスマス当日を迎えます。当日もプレゼントを置く場所を工夫したり、なかなか大変ですが、毎年楽しいです。
この度は、このような賞を頂き、誠にありがとうございます。我が家の3人の子供のうち、上の2人はサンタの正体に気付いてしまいました。しかし一番下は今のところ気付いておりませんので、大根役者はまだ芝居を続けそうです。
お子様の夢を壊さないように演技をする優しい両親の姿が頭に浮かびました。大根役者 親二人というリズムも良く、思わず笑ってしまう一句です。一番下のお子様はまだサンタの正体に気づいていないとのことですので、来年再来年も演技が続けばいいなと思います。お子様にとっては、どんな高価なプレゼントより、お父様やお母様が自分の為に演技をしていた事が、大人になってからの素敵な贈り物になると思います。
これからは革靴を履く機会は減ると思います。ウォーキングが妻との日課です。
作品は実生活を基にして創作しました。定年を迎え、妻がプレゼントしてくれたのがブルーのスニーカー。週末はペアのスニーカーで少し長めのウォーキンングを楽しんでいます。
「これからもあなたと歩いて行きます」というメッセージが強く込められた一句ですね。一人、会社へ向かって歩いていた日々が、二人で公園や近所を散歩する日々に変わる幸せな瞬間が脳裏に浮かびました。定年後に始まる第二の人生にスニーカーを用意してくれる奥様なら、どれだけ月日が流れても仲良く歩いていけるだろうなと想像し、心がほっこり温まりました。
いつも素敵なコンテストをありがとうございます。色々な形での贈り物を表現しました。
この度は素敵な賞を頂きましてありがとうございます。最近は料理をする男性が増えてきたので、この川柳を機にもっと増えたら良いなと思います。
共働きの夫婦では、夫が料理をするという家庭も最近は多いようです。レシピ本をプレゼントすることでそのきっかけが出来、夫婦仲良く過ごしてくれたらという両親の思いが込められている一句ですね。独身時代は当たり前のように出してくれていた朝食や夕食も、これからは夫婦二人で協力して素敵な食卓を作っていってほしいと思います。そのレシピ本の一品をご両親に振る舞われる日も近い未来あるかもしれませんね。
たとえ料理がまずくてもおいしいよと言ってくれれば料理のしがいがあるというもの。
正直に言われて傷ついたことってよくありますよね。昔は恋愛。今は毎日のご飯づくり。おいしくない料理でもおいしいよとか、好きな味だよとか言ってくれたらうれしいなという思いで書きました。
事実であるとか、形であるとか。そんな目に見えるものが価値のある場面もあるのでしょう。でも、染みて残るのは、やっぱり優しさに満ちた言葉なのです。大切な人のために、さて、私たちはどんな演出家になるべきでしょうか。笑顔になってほしいという一心で選ぶ嘘は、きっと許されるのではないかと思うのです。
現在2歳になる息子とのことを表現しました。日常の小さな出来事全てがおくりものに満ちています。
親になった自分から願いを込めた「名前」。現在2歳になる息子。一日を過ごす中で数えきれない程この子の名前を呼んでいます。楽しくかけがえのない毎日です。佳作を頂きありがとうございました。
命が誕生する瞬間ほど感動するものはありません。物心ついた頃には当たり前のように自分の名前が呼ばれ認識しているものですが、その名前がご家族からの人生最初の贈り物だということにいつの日か気付かされることでしょう。遠い未来、この名前で良かったとお子様に思って貰えるように、愛情を込めて名前を呼び続けたいものです。
気持ちがこもった贈り物はどんなものでも嬉しいです。
このたびは佳作に選出いただきありがとうございます。素敵な賞をいただけてとても嬉しいです。幼少期の頃、毎年の母の日のサプライズについて、おそらく母は気づいていたと思いますが、あえて知らぬフリをしてくれていたことに、母の愛を感じたときの気持ちを詠みました。
プレゼントの準備をしている様子を必死に隠そうとするお子様は多いですよね。親としてはどうしても気づいてしまうのですが、知らないフリをしてあげる事も多いでしょう。サプライズに驚き笑顔になる両親の顔が見たくて子供は一生懸命絵を描いたり、お手紙を書いたりしてくれる。その気持ちに応えたいと思うのが親心です。心が温まる一句でした。
もらってうれしいものにしました。
この度はどうもありがとうございます。この句は妻と満月を見ていて、雲がかかった時に、ふっと浮かんだ川柳です。妻も大変喜んでおります。
存在感のある満月をわき役にして、雲を掃く風を主役にしてしまいました。遠いところに見える星が、見えない風によって姿を現す。そのタイミングを「おくりもの」であると描写するところに、作者のやさしさがあります。きっと、風にはそんな意図はなかったことでしょう。与えられているかどうかは、自分の心が決めるものなのだと気付かされました。